医療の不確実性

医療

みなさんは「医療の不確実性」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
簡単に言い表すなら「医療は100%の結果を保証するものではない」といった意味です。
常識的に考えれば普通に理解できることであり、わたしたち医師もそれを前提として医療にたずさわっています。

ここで、あらためて考えてみてください。みなさんがひとたび患者の立場になったとしたらどうでしょう。標準的な医療行為が適切に行われれば必ず良い結果になるはずだ、と強く期待するあまり、「医療の不確実性」が見えなくなるとは考えられませんか?もちろん、良い結果が得られたときは期待以上の喜びになるでしょう。しかしながら、予想に反して結果が悪かった場合、みなさんは医師の説明を冷静に聞くことができるでしょうか?

これは、結果の良し悪しにかぎって起きることではありません。医療において「説明と同意」(いわゆる、インフォームド・コンセント)を行う義務が医師法に明文化されて以来、わたしたち医師には、薬の副作用や手術の合併症などの「医療の不確実性」についても十分に説明することが課せられるようになりました。しかしながら、こういった内容をひととおり話し終えたあと、患者さんから、「先生の説明を聞いてかえって不安になった」という声を聞くことは、決して珍しいことではありません。

こうした「医療の不確実性」は、人間の生命活動の複雑性や有限性、あるいは、個人の多様性に由来するものなので、将来にわたってなくなることはありません。ですが、通常、わたしたちの行う医療行為は、それがもたらす利益が不利益を上回っているからこそ、「医療の不確実性」がことさらに取り上げられることはありません。しかしながら、医療の本質が不確実なものであるからには、過失がなくても重大な副作用や合併症は起こり得ます。そして、不幸にも副作用や合併症といった不利益が利益を大きく上回ってしまった場合、患者にとっての「医療の不確実性」は、もはや「医療不信」そのものでしかなくなります。

実際、わたしがアドバイスを求められた医療訴訟案件では、医療行為によってもたらされた患者の不利益が原因で訴訟に発展したケースがほとんどですが、そこには、医師の見解をもってしても説明しきれない「医療の不確実性」が存在していた事案はありました。それでは、医療に対する過度な欲求や願望を持ち続け、「医療の不確実性」を積極的に理解しようとしない患者側に問題があるのでしょうか?いいえ、決してそうではありません。医師の側にも問題があるだろうと推察できる事案が少なからず認められています。それは、特に、副作用や合併症といった「医療の不確実性」に直面した時の医師の態度や行動が、患者の期待に十分に応えていなかったのでは…と考えられる場合です。

つまり、わたしたち医師は、長い間に培った診療技術やガイドライン等の教本に従って医療行為を行っていれば、自分の診断や治療に大きな間違いはない、という、自尊心の塊のような存在になってしまい、それが「医療の不確実性」を忘れさせてしまうのだと思います。ただその一方で、患者に不利益が及んだ場合、自分の優越的な立場が損なわれることを極端に恐れ、有事の時だけ「医療の不確実性」を後ろ盾として、それがまったくの想定外であったことを強く主張する、そんな対応をとっていたのではないでしょうか?そうしたことが、医師と患者との間に深い溝を作ってしまうのだと思います。

当サイトでは、わたしがこれまでに扱ってきた事案を含む、医療訴訟案件等を掲載し、医師と患者との間に生じる相互理解の不一致について、今一度、深く追求したいと考えています。そして、どうしたらそのようなことが防げるのかを、みなさんと一緒に考えたいと思っています。

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