わたしが某私立大学の医学部を卒業したのは、もうかれこれ30年も前のことになります。現在は、医師国家試験に合格した後、初期臨床研修を2年修了してから専門の科を決めるシステム(新医師臨床研修制度)になっていますが、当時の旧制度のもとでは、医学部を卒業する前に、多くの場合、自分の出身大学の各専門科の 医局 に所属することを決めた上で、卒業後、医師免許を取得してからすぐにその科の研修医として働き始めるのが一般的でした。
現在の研修医同様、当時のわたしたち新米医師も、初めの2年間は研修医「レジデント」という肩書ではありました。ただ、実際には、1年目はフレッシュマンであることから、略して「フレマン」と呼ばれていました。そして、わたしのようなフレマンは、「ウンテン;Unten(独)」と呼ばれる2年目以降の先輩医師と、3年目以降で、医局の関連病院の出張から戻った先輩医師(「ネーベン;Neben(独)」と呼ばれる)らとともに、病棟において複数の患者を受け持つ、ひとつの「班(グループ)」に組み込まれます。そうして、その班を取り仕切る医師が「オーベン;Oben(独)」と呼ばれる指導医になります。
わたしは、当初、救命救急に憧れていましたので、外科医になればすぐに実践的な手技が身に着くものと勝手に思い込み、なんの迷いもなく外科を選択しました。ただ、この外科研修の日常は、わたしの想像をはるかに超える、過酷で大変なものでした…。